
※もっともここに関しては他にもあまり良くないニュースが世間を騒がせていたので、どうなんだかなあという感じはするけど(アップリンクとかもそうですね)。
名画座の老舗である飯田橋のギンレイが毎日クラウドファンディングで資金を集めているのをSNSで見ていた。2千万円集まってどうにかこうにか、みたいなことが書いてあった。無事そうなのは早稲田松竹くらいだろうか。
ともかく、無くなってしまうのは寂しいものがあるということで、映画を観に行ってきた。
片渕須直監督特集をやっているというので、きちんと劇場のスクリーンで観たことの無いアリーテ姫を鑑賞するなり。

ラピュタ阿佐ヶ谷は監督と縁の深い劇場で、マイマイ新子の公開時にあっという間に全国で公開を打ち切られる中、最後までリクエストに応えて公開し続けた劇場ということでマイマイ新子の聖地みたいになっている。もっとも劇場の名前からして、宮崎駿関係大好き感はあるけれども。
ようやく劇場のスクリーンで観られたアリーテ姫の映像はとても美しかった。
この映画、監督の当時の年齢相応に荒削りでものすごく惜しいところがたくさんあり、テーマが直球過ぎて若干説教臭く感じてしまうきらいはあるのだけれど、それでも、埋もれさせておくにはもったいない、とてもとても良い映画であると思っている。
残念なことに今人に勧めようとしても観る方法がほとんどなく、古い高価なDVDを買うかこうやって縁の映画館で再映するのを待つしか無い。この世界(と監督は呼んでいたのでそう書く)のクラファン参加者報告のときに聞いた話としては、片渕監督自身が権利を持っていないためにBD化も進まず、レンタルにもDVD媒体は出ておらず、再映時には監督自身の手持ちのテープを持ち込んで上映している、とのことだった。映画を後世に残すのって大変なんだなと思った。
アリーテ姫、箱入りで自由のないそして決して美人ではないお姫様が、心で描く自由から本当の自由を手に入れていくというお話で、そこには権利と主体性の尊さだったり、フェミニズム的なものだったりがストレートに詰まっているのだけれど、繰り返し観てみると、この映画と同じ構図の映画何度も観たぞ?ということに気づくというか、気づくまでもなくこれは「この世界の片隅に」のプロトタイプなのだということを確認する。
あと、(アリーテ姫よりずっと前に片渕監督の初監督作品になるはずだった)魔女宅にも似ているところがある。中盤に主人公を助けてくれる年上の女性が登場するのだけれど、声を当てているのは高山みなみだったりする。
無論、くすんだ色合いで描かれた中世風の町並みの絵柄からもわかるように、世間でよく知られたジブリ作品のような作品群とはだいぶ風合いが違い、ずっと地味で内省的でシリアスだ。作品のテーマと照らし合わせて制作当時の監督の心境を考えてみると、魔女宅へのリベンジというか、世の認知や承認や華やかな名声が無くても、それらに負けない豊かな知見と深い思索があれば優れた作品が作れるのだ、それこそ自らは自由なのだということを訴えたかったのかなあ、なんてことも思い馳せてしまう。穿った見方かもしれないけれど、なんとなくまだ社会に達観し切れない若さというか、悔しさみたいなものが見え隠れしているように感じるんですよね、アリーテ姫。
※文明の描き方に若干のナウシカラピュタ風味もある。庵野監督もそうだけど、ああやっぱりこの人は関係者なのだなあということを感じる。高坂希太郎監督の若おかみあたりも観ると面白いと思う。
後の2作もそうだけど、片渕監督の作品は職人的というか、職人の手仕事みたいなものを描くところにおそらくとんでもない気力を注ぎ込んでいて、人間の所作がとても丁寧で細かく命を感じられるので良い。この人の手仕事に対するこだわりみたいなものはアリーテ姫の時点でかなり強く感じられる(というか、アリーテ姫の場合はこだわりを隠さなすぎて逆にさり気なさがあまりない)。
派手なところはまったくなく重くて地味だしテンポも遅いしで興行的には大爆死だったらしいけど、人間の意志の力と自由の在り方というものを強く考えさせられ、観終わった後には心をスッと軽くしてくれるとても良い映画です。オススメします。観る方法あまりないんだけど。
スタジオ4℃の作品だけど、このアニメ制作会社ってこれにしろMEMORIESにしろマインド・ゲームにしろ、去年やった海獣の子供にしろ、こんな凝りっ凝りに凝ってツメッツメに詰めて、そしてお客さんは入らなさそうな映画ばかりやって(大好きだ)、本当に大丈夫なんだろうか、従業員にお給料はちゃんと支払われているのだろうかなどと心配してしまう。
(※支払われてない)
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