サード・プレイスこそ重要だという実感

キャラのせいか役回りのせいか、ちょっとメンタルが弱っていたり、場に馴染めずはみ出しがちな人の話を聞いたり愚痴を聞いたりする機会がよくあるほうだ。

このストレス社会、ちょっとしたことで落ち込んだり、人間関係で軋轢ができたりっていうことは無いほうがおかしいだろう。俺自身、本来特段コミュニケーションのうまい人間だと到底思えず、ムラ社会や仲良しグループ的なものが大の苦手な性分なもんで、その反動でどんな人にもオープン&フラットに接したいという基本動作が働いた結果、そういう機会に首を突っ込むのかもしれない。

 それ自体は良いこととも悪いこととも言うつもりはないし、「そういう人はxxxだ」というような主語のでかい話をするつもりは毛頭ないのだけれど、心のバランスを崩しやすかったり、なんでもないことでトラブルがおきたり、文句ばっかり言ってて全然楽しそうじゃないなあ、って思う人に共通して以下のような傾向があると感じることが多い。

  • 自分、自分と自分の話ばかりしている。
  • アピールを強調する割にそれを受け取る側のことは考えていない。
  • 身の周りにやたらめったら悪者が多い。

あるある話だと思う。
※自分で書いてて、自分自身もそのように家族に指摘されることがあることを思い出して勝手に落ち込んでいる。お前のことだろとツッコまれそうだ。

というのは長い前置きで、本題はここからなんだけど。

上記のようなシチュエーションで会話が暗くなってしまったり、あるいはそうでなくとも聞いている側がつまんないなあと感じてしまったりする状況とその人を冷静に分析してみると、次のようなケースが当てはまることがほとんどだ。

  • 自分しかいない。
  • 行動範囲が会社と自宅しかない。
  • 一見コミュ強っぽい話しっぷりだがよく聞くと内輪ネタしかない。

要するに、意識高そうな言い方をすると世界観(とかいうとクリープハイプファンに馬鹿にされそう)が狭いとか、会話の射程が狭いとか、視座が狭いとか、まあそういうことになるんだろうか。

逆に、面白い人はだいたいこうだなっていうか、少なくとも俺はこういう感じの人が良いなって思うのは、

  • 今のこの場ではない他の居場所を持っている。
  • 目の前の物事を客観視したり、他の立場で多角的に見られる。
  • それを飾ったり鼻にかけたりステータスにしたりしない。

っていうことだ。

俺自身がキラキラリア充ワナビー層とはほぼ真逆の属性の人間なので、トモダチ最高ウェーイ的なことを言うつもりは1ナノすらないわけなんだけど、そういうことではなくて、やっぱり心の余裕がある人、面白い引き出しをたくさん持っている人、あるいはそいういった状態っていうのは、「職場」と「自宅」以外に第三の場所というか、自分のメインの状態を別のモノサシで客観視できるようなフィールドを持っていることがかなり重要なんじゃねーの、ってなことを最近よく考える。

まあ、身も蓋もないストレートな例を出してしまうと、もしかするとニートな若者に「何かやりたいことはないのか?」「誰か友達はいないのか?」「せめて仲間のできる趣味は無いのか」とか内角をえぐるような無神経なボールを投げてしまったり、妙齢の独身女性に「良い男性はいないの?」「外に出ていかないと出逢いが無いわよ?」とかデッドボールをかましてしまう話の延長線上にあるような気もしないわけでもなく、そこは慎重に考えたいと思うのだけれど。

 

Wikipediaによると、サード・プレイスとはこうある。

サード・プレイスとは、コミュニティにおいて、自宅職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。

サード・プレイス – Wikipedia

 

ここでいうサード・プレイスとは結構言葉の応用範囲が広くて、それは物理的な場所のことかもしれないし、特定の人が集まるコミュニティのことかもしれないし、あるいはネットなんかも含むコミュニケーションそのもののことかもしれないけれど、要は自分のメインの場所の他の「居場所」なんだよ、っていうことだと解釈している。

なので、

  • 物理的なサード・プレイス:
    よく通って溜まれるカフェやバーとか、スポーツジムとか、映画館や劇場やライブハウスとか、もしかしたら副業の先とか。
  • コミュニティとしてのサード・プレイス:
    趣味のサークル、スポーツのチーム、地域活動とか、あるいは地元の同窓会とか業界勉強会とか、いろいろ。

こんな感じかなあって思う。

そういうのがあると、自分の生活の主導線にどんな理不尽なことがあっても、第三の場所が心のセーフティネットとして機能するし、客観視ができるし、日常にも新鮮なおもしろネタを供給しつづけることが可能なんだっていうことなんだろう。
自分の知らない世界の話題や感性を見せてくれる人と話すのは楽しい。

つい先日、仕事上色々うまく行っていない人の話を淡々と聞く機会があって、そんなことを考えてた。逆に言えば、今悩んでいる世界とは別に第三の場所を持っていますか?心身に風通しや広がりをもたらす外の世界がありますか?っていうことをケアできれば良いと思うのだけれど、それをシロウトが解決案を提供するわけでもなくただぶつけてしまっては、それは単なる言葉の暴力だ。難しい。

でも、サード・プレイスを持つっていうのは急に外でコミュニケーティブに振る舞ってこい、と言っているわけではなくて、極端な話、本を読む時間を持つとか、(一見悪影響の方が強そうな)オンラインゲームにハマるとか、そういうのだって含まれるはずなのだ。肝心なのはあくまでそれが「サード・プレイス」として心の栄養になることで、「自分の軸」であるメインの、日常の生活を食い潰すことにならないよう距離感覚を持つ、持てるようバランスをコントロールするってのが大事なんだろうなって思う。
※そのバランスが取るのが難しいんだろ、それができりゃ心療内科要らないだろとも思うので、シロウトがむやみなことは言えないんだけれども。

自分自身、過去を振り返ってみると、何度か著しく「プレイス」のバランスが崩れて視野狭窄になっていた時期があって、それはかつて引き篭もりニートをやってた時期だったり、ある時期仕事と家庭が多忙を極めて他に何も考えられず色々生活が崩壊しそうになってた時だったりするんだけども、そういう時の自分は恐ろしくつまらないことしか言えなかったし、その原因の多くは「第三の場所」を失っていたことに起因するんじゃないかって思える。

今だって大して生活も楽にならないけれど、自分と仕事という他というよりその以前に個人としての自分より上位に家族があって、さらに家庭と仕事という2つの場所の他に複数の「場所」があることは、関係性の維持が大変である反面、自分の生活に幅と豊かさと心のゆとりを与えてくれているというのを実感している。

たいそうな集いに参画しているというようなことではなくて、おやじの会と、自転車コミュニティと、山と、前の会社の繋がりとか、地元の友達とか、たまに混ぜてもらうバスケとか、そういうちょっとした「別世界」が、常に心の平穏と視点をくれるんだ実感できるようになった。そういうのって大事だ。もちろん、趣味自体の楽しさによるリフレッシュだってものすごく大きい。

 

ちょっと脱線して繰り返すけど、俺は決してコミュ力の高いほうではないし、むしろ集団行動と「仲間感」的なものがとんでもなく苦手な人間なのである。
これは何度も色々なところで書いているしこれからも別で書くと思うけど、俺は「ムラ社会と内輪感」というやつが大の苦手だ。というか、大嫌いだ。「ムラ社会と内輪感」とは一生戦っていく生涯の敵感すらある。これについては長くなるので、そのうち真剣に考えをまとめて、別の所で投げたいと思っている。

ところが、わりとヒトっていうのは、この「ムラ社会」や「内輪感」というものが好きな派のほうが多数派だったりする生き物なのだということを常々感じていて、俺みたいに知らない場所・知らない世界の話で皆フラットな関係性のほうが居心地が良い、という人間の方が実は少数派で下手すりゃサイコなんじゃないかって思わされる場面に、最近とみに度々遭遇して、ある自由参加型のコミュニティなんかだとびっくりすることがある。まあ、言葉としては「ムラ社会」や「内輪感」じゃなくて、「グループ」とか「仲間感」って言うふうに語られるわけなんですけどね。

確かに、「交流が欲しい」「仲間が欲しい」っていう希望でコミュニティに集まる人に、「内輪感が出るの嫌だ」とか言うとギャップが出るってのはそりゃそうかなって思うんすけどね。でもね、それでも、俺はオープン&フラットってのに憧れるんですよ。

閑話休題。
何を言いたかったかと言うと、例として俺なんかは所謂「コミュ強」っていうタイプではたぶん無いけど、一方でいろんなモノに手を出したり、いろんな所に顔を出したり首を突っ込んだりするのは好きなもんで、それを大切にすることが結果として自分にとってサード・プレイスになっているよ、っていうことなんですよ。

ていうことを、最近話そうとしてうまく話せなかったことが何回かあったので、頭の整理がてら書き出してみた次第。

 

最後に、今この文章を書こうと思い立ったきっかけになったまじめな記事2選。

大企業でももうすぐ起きる、働き方の変革。「自立」と「社会参加」がキーワードに 東京糸井重里事務所CFO・篠田真貴子×サイボウズ社長・青野慶久|サイボウズはどのようにして「100

サイボウズみたいなタイトルだなと思ったらサイボウズだった。でもほんとこれ大事。サードプレイスを持つことの意義をどれくらいの人が共感してくれるか。

2016/02/23 10:19

会社に対するOFFという意味での「サード・プレイス」 とはちょっと違うんだけど、サイボウズは以前からサイボウズ式とかでワークスタイルとか、社会参加とか、PTA問題とかそういうのについてすげぇ高クオリティな記事を連発されていていつも唸らせていただきまくっている。小学校でおやじの会の立ち上げと運営に関わっている人間としては、地域活動シリーズの記事はどれもツボです。

さすがグループウェアの本職だけあって、「活動」とか「チーム」的なものについての洞察は有象無象のライフ八苦サイトとは一味違う。

  

国内正社員1500人、副職OKに ロート製薬:朝日新聞デジタル

まずは第一歩としてすばらしいことだと思う。将来的には勤務形態の多様化にも手が入っていくのだろうか。

2016/02/24 22:18

  ロート製薬で正社員の副業がOKになった、というニュース。

俺は(自分は全然気にしてなかったけど)新卒のとき圧倒的な低学歴で大企業に入ってしまったってことで、最初の上司が気遣って他企業交換で全然違う会社に研修に出してくれた。その後客先常駐したり、これまた全く違う業界の会社に出向したり……
結局その後転職してしまったんだけど、新人のころに「外の世界から見た自分の仕事」を見る機会に恵まれたことがほかの人との差異化になったし、自分の最大の武器になった。辞めてしまった今でもその会社には本当に感謝している。

会社の都合や過労防止などいろいろあるとは思うんだけど、俺は副職賛成派だ。違う視点、違う切り口、違う人脈。もちろん別に副職じゃなくて社会活動参加でもなんかのサークル運営でもいいんだけど、給料が上がらないこのご時世、狭い世界で悶々とするより少しでも可能性を得る自由があったほうがいいんじゃないの。

 

 以上、長くなったけどそんな感じ。

 

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