脳みそアウトソーシング問題

と言っても、クラウドだとかAIだとかそういう話ではなく、単なる丸投げ民族に関するぼやきだ。日本は諸外国に比べて特にそうである、とよく聞くけど、自分のアタマで考えて自分の手で作る人よりも、何かを言われるのを待って言われたら誰かに振ることが大事だと思っている人の方が圧倒的に多数なのだ、ということを社会人になって間もなくに学んだ。右から左へと受け流す、それを成果だと主張する人が評価されるケースが多々ある。なぜなら難しい知識や技術ではなく、誰かにプレッシャーを掛けた、仕事を回した、っていう表現のほうがわかりやすいから。そういう人たちが、主体性がどうとか、当事者意識とかって語る。アウトソーサーとかSIerが独自発展して成り立っている日本文化の源泉はそういうところなんだろうと思う。

でも、個人的にはそういう自分で何か考えてモノを作れない人生ってのはつまらないと思うし、こんなことでぼやかなくても良いように環境を変えていける存在でありたいなあっていうことは考える。わからない人にわかるようにするのも企画屋、技術屋の務めなのである。

 

先日、戦友で山仲間であるめん君と新宿で軽く飲んでて、そんな話になった。
彼は俺の前の会社の同期で一緒に働いていた仲間なんだけど、ピカイチレベルですっげぇ仕事のデキる男である。企画も行動も早いし、パワフルで人を巻き込む力もあるし、調整も効く。実際、普通のサラリーマンが普通は経験できないような規模のでかい修羅場を潜ってきている。好奇心や知識欲も旺盛で、アイデアを出せる。何かあっても自分でなんとかできる男である。周囲の信頼も人気も高い。

でも、ザ・ニッポンの大企業であるあの会社においてはむしろレアキャラ枠に入ってしまうし、「自分でなんとかできる」っていうあたりが逆にワリを食う原因になってしまったりするっていうか、そのあたりの周囲とのギャップがストレスになるのだ。理不尽だなって思う。

彼は今ある大規模なサービス開発に携わっている。本来の業務ではなく、そのバカでかい会社の中で「サービスの設計や開発ができる」人材ってのがぜんぜんいないってことで、かつて同じくサービス開発をやったことがある古参兵メンバーが特命チームとして集められたのだと言う。時代劇か西部劇、もしくは仮面ライダーみたいな話である。

ところが、いざサービスの機能を考えよう、システムを作ろう、となった時、自分で要求を書いたり、設計を進めたり、プロジェクト管理したりできる人がいない。逆に、ベンダを集めて、そういうのも含めて提案しろオラオラとプレッシャーを与える人や、ルーチン作業を行う人ならたくさんいるのだっていう話である。
大企業あるあるネタすぎて頭痛が痛いのだけど、多かれ少なかれどこの会社でもそういう話はあるんだろうと思う。2:8の法則ってやつか、実態は1:9とかかもしれない。

ひととおりあるあるネタを聞いた後、そういや最近こんなの思いついたんだよ、と、こんなのあったら良いなネタとか、アプリの企画とか、おもしろプレゼンとかそういうのをビール飲みながらあーだこーだと議論した。楽しかった。
気の合う奴と、好きなように気の合う議論ができるっていうのはすごくいい。彼はそういうネタを実際にちょちょっと作ってはあちこちに提案したり、コンテストに応募したりしていて、その行動力は素直に尊敬する。
彼も、そういう話を思い切り気兼ねなく話したかったはずである。その機会が無いなんてはっきり言っておかしい。アイデアと行動力って超貴重なものなのに。

 

現実を振り返って考えると、ホント、そういう時間や機会って貴重なのである。本気で活性しているベンチャーなんかなら、それが貴重とか言ってたらその時点でヤバイと思うんだけどね。

そこそこいろんな仕事をしてきたけど、自分のアタマで考えて自分で作るってかなり難易度の高いことなのだ。※自分のアタマで考えよう、ってちきりんかよ。インチキみたいだ。
例えば俺は今、いわゆる専門会社ではなくて、事業会社のIT部門みたいなところで働いているけれど、こういうところでは自分の専門性を発揮しやすい、好きなモノづくりがやりやすいという利点がある反面、そもそも「なぜそのなんたらソリューションをやるのか」という基本的な理解を得てスタート地点にたどり着くまでがとてつもなく長い(ITの畑で作物を植える前に、荒れ地を耕すところからはじめないといけない感じ)し、技術力の価値と周囲の評価が真逆に逆転するという「ビックリあべこべ状態」が発生しやすい環境だと思う。現場仕事の言葉を、サービス開発の言葉にうまく翻訳してあげないと、あの人わけわかんないことばっか言って感じ悪くてやーね、となりがちだ。

これは俺の会社がどうこうという話ではなく、きっと何でも自分で作れちゃう、だけど世渡りについて割り切れない、みたいな人って、それが本当の正義かどうかには関係なくワリを食うことが多くなっちゃうんだとはいうことを頭では理解している。

極端な例を言うと、こんな技術者あるある話がある。

専門的な知識や技術を持っている人は貴重なので、専門的な場所に集めましょうと。
専門的なことができない人を、汎用的な仕事につけましょう、と。
それを繰り返していると、技術者がみんな請負に、その他多数の人たちがオーバーヘッドに!指示出しするのは本部のおっちゃんおばちゃんと新人君、専門家はデキる人から辞めていく、と。

「私文系だから、システムのこととかはシステムの人にやっていただかないと」
という謎メソッドに殺されていくエンジニアを何人見てきたことか。
※いや、誤解の無いように言っとくと、俺も別に理系じゃないし、そもそも何系とか気にしたこともないんだけども。

さすがに開発や研究職が強いところではそんなこたあないだろうし、イマドキそんなこと言ってる会社はやばいから中にいるなら改革しろよ、っていう話でしかないんだけど、でも、ことインターネッツの話に関して言えば、ニッポンのクラシックな事業会社の多くは今でもこんな感じなんじゃないかな。

ここで冒頭の話に戻るんだけど、こういう文化と丸投げガン振りスペシャリストが上へ上へと祭り上げられていく構造が組み合わされるとホント不幸だ。こんなところでやたらプレッシングスタイルでオラオラする人ばかり目立っちゃったりするともうサイテーだ。なまじ声がでかいからおおあいつすごいなデキるなっていう負のPDCAサイクルが回りまくってアベコンベもソノウソホントもUSO800もビックリなパラレルワールドができあがるに違いない。おお恐ろしい恐ろしい。

……以上、これは妄想で書いたフィクションであるが、たぶん現実にこんなことがある、たぶん。

俺の会社はわりとまじでニコニコまろやかホワイトな職場で、パワハラプレスみたいなのは全く無いし、仕事のほうも潤沢な市場に自分で考えて作ったサービスを打っていける内容なので楽しさという点ではとても恵まれているんだと思う。

仕事に限らず、自分のアタマで考えて、気の合う同士と語り合って、自分で何かを創り出して、っていうことができるなら、それが一番楽しい。

でも実際のところ、社会人のみんながみんなそれを望んでいるわけじゃなくて、何が出来るのか言ってください、それが良いと思えれば今度は作って教えてくださいみたいなスタイルで回るならそのほうがラッキーだ、って思っている人もきっとたくさんいる。つか、絶対そういう人のほうが多い。それが嫌なら起業しろってのは真を突いているのかもしれない。

俺も自分が手を動かすことはほとんどない感じの立場になってしまったけど、例えば自分が技術者で社内のサービスを開発しているとして、ああ、自分で要求し、設計し、開発するっていうプロセスを放棄する場面を見たら本当に寂しいよなあ、なんてことを考えた(それを考えさせられるシーンが実際最近たくさんあった)。

自分がSIerで、ぶん投げアウトソースでお金をいただいている立場なのであれば、企画提案のところから頑張りますよ、何なら稟議書だって書きますよ、佐村河内ばりのゴースト文書だって書きますよ、そのかわりお金はちょうだいね、っていうケースはあるかもしれない。
でも、そういう関係性でもない社内の会議なのに、例えば何者かができるかもしれない新しい機能やネタを仕入れてきてこれどうよ使えるっしょ、って言った時の業務主管の反応が、「ではそれを何に使えるのかまずそれを提案してください」「要求とか要件とかよくわからないから、とりあえずモックアップ作って見せてください、それで判断しますから」だと、あぁ、そうですか、ってなってガッカリ度MAXになるのは目に見えている。況してや、まだかオラオラプレスに移行されてしまったりすると残念すぎて死にたくなってくること請け合いだ。*1

めん君が集められた特命チームはかつて俺も一緒に所属していたチームなので、もし俺がまだ彼と同じ会社にいたならば、俺も召喚されていたかもしれない。それはそれで名誉なことだっただろうけど、俺はここにぐだぐだ書いたようなジレンマのせいもあって、今はもうその村にはいない。でも、村を出てわかったのは、村の外に出て別の村に移っても、そこが村であるならばやっぱり村であるっていうことだったりする。

繰り返すけど、大変でも、ツラくても、自分が社会人として生きているならば、自分で考えて自分で作れる仕事をしていたほうが絶対に楽しい。技術が無いとか、設計の仕方がわからないとか、プロジェクト管理の経験が無いとか、そういうのはあるかもしれないけど、それも吸収して身につけていったほうが絶対に楽しい。

何をしたいかの話をしたいならまず提案をください、一番大事なのは数字ですから取れる数字の案もください、それらが集まったらそれを並べて好きなものをお買い物しますから、お買い物が決まったら持ってきてください(ってなんじゃそりゃ、カタログショッピングかよ)みたいな仕事は、実際のところアウトソーサーへの業務委託とかならあるかもしれないけれど、自分たちが何を目指していて、何をしたいのかっていう根本のところからガン振ってしまったらそれはもう作業のアウトソーシングなんていうものではない。すでに脳みそをアウトソーシングしてしまっているっていう話である。

 

っていう、「脳みそアウトソーシング問題」という言葉を思いついたので勢いで書いた。そんな長々書かなくても「丸投げ問題」とかそういう一言で済ませられるじゃん、っていう気もしなくもないが、案外そうでもなくこの問題は根が深いのである。

どんなにうまく行っても、成功しても、脳みそアウトソーサーの仕事が幸せなものなのかどうかは俺にはいまだよくわからない。
確信的に脳みそアウトソースをしている思考停止野郎もいれば、頑張りたいんだけどどうしても苦手な分野は脳みそアウトソースして凌いでいる知的使い分けマンもいるかもしれないし、Aという分野では超絶クリエイターだけどBという分野には全く興味が無いマンかもしれない。そのへんは、色々なパターンがあるだろうから、今後脳みそアウトソーサーに出会ったとしても、その一面だけでそうであると決めつけてしまうのは危険なんだろうな。きっとイライラはするけど。

 

ただでもまあ、ひとまず自分は自分で考えて『正しい』と思ったことをやって、こんな世界とはいえ、自分の『信じられる道』を歩いていたい!と思う次第である。

アリアリアリアリーベデルチ。

 

*1:受託で開発やクリエイティブを仕事にしているなら、提案や実行を求められるのはいい。企画やアイデアはどんどん具現化して提案するべきだ。ただ、それを仕事として求められるなら、対価は貰わないとやってらんないよね。

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