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紙紙紙紙

この話が2016年の今一般的によくあることなのかどうかよくわからないけれど、
長いこと、「紙の人」に悩まされ続けている。それも、かなり。

そういう問題自体は30年前からあった、むしろ世間的に問題になったのは90年台後半のインターネットブームの頃だったんじゃないかと思うんだけど、紙媒体などの旧来のメディア関連の仕事をしてきた人や、IT嫌いな人から、ネット関連のモノや出来事が悪者扱いされるというような現象のことだ。
この手の話だと年配層のデジタルデバイドとかそういう例が一番よく語られる問題じゃないかと思われるけれど、俺が直接的に参っているのは少しニュアンスが違くて、もうちょっと専門的な話かもしれない。

コンテンツや媒体関連の仕事をしている人ならピンとくると思うんだけど、世の中には「紙の人」がたくさんいる。
これ自体は全く悪意をもって話すようなことでは無いし、ましてや誰か特定の個人のことを指して批判するようなものでもないので、もしこれを読んでいるリアル知り合いがいたらそのつもりで捉えて欲しい。

ストレートな例で言うと、今俺の仕事場は制作編集の部署の片隅にあるから、「私は紙媒体の人だよ」と自己紹介をする(Web媒体の制作者に対して、本・雑誌媒体の制作者だよと言っている)人達がいるし、広報の偉いヒトにも紙媒体贔屓の役員がいたりする。俺の仲の良いディレクターの友人は、今でも偶に紙の仕事をすると「やっぱり紙はいいなあ」と言い残すのがお約束になっている。仕事関係だけではなくて、身近なところでは俺の妻も大の本好きで、本屋と図書館を掛け持ちで働いている「紙の人」だ。

ある人はITが苦手だから、ある人はITが苦手なご年配に寄り添いたいから、ある人は現実的なマーケティングの話として今でも紙媒体のリーチの強さや確実性を信じているから、またある人は単純に紙が好きだから、紙媒体の手触りが好きだからそれを主張するという人もたくさんいる。それらは何も否定されることじゃないし、むしろその思い入れが素晴らしいとすら思う。それに俺だって、紙の雑誌が大好きだ。

でも、ネットや、パソコンや、それらで扱うメディアについて、逐一「私は紙の人だからネットではないのだ」と言って叩くのは本当に本当につらいししんどいし理不尽なので本気でやめてほしいと思っている。
ピュアなIT屋、特にWeb屋などで働いている人、あるいは情報化著しい工業メーカーの人には「え、そんな話ある?今、2016年だよ?」って思われるのかもしれないけど、少なくとも自分の暮らしの観測範囲の中ではそれは本当に大きな問題として存在している。むしろ、皆でITを活用しましょう、ってやってた普及時期を過ぎてITが当たり前になってから、年々「私は紙だから」主張と亀裂が大きく深くなっているように思う。

そりゃ、「紙の人」がそう主張したくなる気持ちだってわかるというか、少なくとも理解した気になることはできる。
年々年々世の中はインターネット主流になるし、情報の流通も、マーケティングもネットが主流になりつつある。オールドメディアは効率が悪いと言われ、有効な施策はITに持っていかれて紙専業でやってきた人の立場が危うい、っていうのもあるのかもしれない。本が売れない、新聞が売れないと言われたり、Googleで調べ物をする大学生の学力低下が懸念されるとか、色々あるのもわかる。

でも、さ。
そんなことで言い合いになったり、仕事が止まったり、席を取り合ったりするような状況が発生することは、正直、意味がわからないんだよ。
確かに無理やり分類するならば、俺は「ネットの人」だと思う。
専門学校で情報メディアを専攻して、通信会社に入って、ひたすらネットワーク活用と普及が社会のためになると思って働いてきた。古い会社だったからむしろ先進的な、というよりはデジタルデバイドとかITリテラシー向上とかそういうことが課題になることが多かった。
その後転職してIT専門の職場では無くなったけど、それはネットの仕事が嫌になったのではなくて、もっとそれを活用できる仕事に就きたいと考えたからだ。
さすがに通信会社に居た時はITについて「俺はわからん」と否定されることは無かったので、事業会社に転職して「お前ら、やっぱり紙が一番だからな」なんて言われたときはビックリしたけれど、それから何年経っても、それほど状況が変わらないのである程度仕方ないのかな、とは思っている。あるいは、俺が全然伝わらないIT用語ばかり使って鼻につくしゃべり方をしているんじゃないかと考えて、真剣に話し方を見なおそうと考えたこともある。

でも、やっぱり今なお「ネットの」っていうだけで対立の構図で話をされることがある、それも頻繁に。ホント、それなりに自分の仕事人生に誇りを持ってもいるので、そういうでかい主語で二項対立を煽るのは勘弁してほしいなあと思ってしまう。

そもそも、なぜ紙とネットが二項対立になるのかがわからないのだ。
俺は「ネットの人」だけれども、「自分はネットの人です」なんて言ったことは特に無い(そういう人はいるだろうけど)。IT屋の中には「電子化万歳」「紙滅ぶべし」という急進派もいるのは事実だけれど、それは少数派なので考えなくていいと思っている。
そんなの当たり前だ。俺だって紙の媒体に触れることは毎日ある。本だって雑誌だってカタログだって身の回りにあるし、だいたいからして紙媒体の仕事だってやっている。子供の頃から身の回りにあるし、少なくとも俺が死ぬまでの間は紙が無くなることは無いだろう。
要するに、紙だって、ネットだって、テレビだって「今、身の回りにあるもの」だと思っているし、それらをどう適材適所で使い分けて仕事を進めていくのか、あるいは広告を打っていくのか、そういうことを考えている。向き不向きはあるだろうけど、それらは共通して社会のインフラなのであって、1対1の対立関係では無いのは明らかだろう。

ネットでやるならチラシにしろとか、ネットで調べると馬鹿になるから図書館で調べるべきとか、仕事だったり家庭だったりいろんな状況はあると思うんだけど、「紙の人」だって今みんなスマホとか持ってるでしょ。既に社会共通のプラットフォームになっているでしょ。だったら、どう組み合わせて活用すれば世の中が良くなるのか考えればいいではないか。
自分の場合、ネットでどうコミュニケーションが良くなるか、ということを社会貢献のテーマにして、職種は変われどずっとそのテーマを軸にして働いてきており、どうすれば便利になるかとか、どうすれば老人や子どもも安心して使えるかとか、そういうことを日々考えているので、いまだに「ネットは悪」という前提で話をされると、なんとなく社会的責任のようなものを感じてしまう。

アメリカでは大統領自ら「子どもにプログラミングをやらせるべき」と語るような時代なのに、と思う一方で、スティーブ・ジョブズが自分の子どもたちにはMacやiPadを「不要だから」という理由で持たせなかった、なんていう話もあったりして、先進的なITの世界の中でも適材適所や多様性が見られるわけで、少なくともネットの利用について「こうあるべき」という押し付けはしなくて良いと考えているし、それが非効率なのであれば無理にITを使う必要は無いと考えている。
ただ、それが役に立つ、適切な使い方ができるものならば、活用方法を考えるのが建設的だろうと思う。
そんなこんなで、人生の半分くらいこの手のことで胃を痛めてきたおかげで、「私は紙の人だから」という言葉を聞くと、条件反射的に頭が真っ白になり、プチッと何か自分の中のスイッチが切れるような状態になってしまう。
繰り返すけれど、言い訳ではなくこれは特定の誰か(例えば会社の上司とか、家族とか)について書いているということではなくて、逆に俺は20年に亘っていろんな場所と人とこの問題に向き合ってきたので、プチっとダウンしたらそういう背景があるのだ、ということを整理できるようにこれを書いた。

 


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