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コミュニティの形と繋がりの方向のこと(殴り書き)

昨日、最近小学校のおやじの会関連であれこれ手がけているWeb活用のこととか、
地域コミュニティについて考えていることについて、ふと思い立ってめん君と山計画をメッセで話していて、
そのついでで自分が発した(書いた)言葉で自分自身が気づいた点があったので、忘れないうちにメモしておく。

元々のきっかけはおやじの会のホームページのたたき台を作っていてあれこれあって、
ひょんな事で「今後できればコミュニティのIT活用運営とか情報危機管理の勉強会なんかもボランティアでやっていければと思ってる」なんてことを発言することになってしまったことで、なってしまった、と書いたけどそれは自分の思考の中で優先順位が高くなかったっていうだけで、嘘なわけじゃない。
で、最近こんなことやってるけどどうよこれ、とか言いながら作ったWebページと一緒にそんなことがあったてのを話したら、いいねそれ、なんて話になって、地域の繋がりみたいに、個人個人は組織や属性のしがらみがあるわけじゃない場所でそれぞれが持ちうるスキルを提供しあって活動するのもいいんじゃないの、なんてことを話してた。

その時、こんなことを書いた。
”例えば学校のPTAとかって会員が職業のカラーを出さずに平易平等であるっていうカルチャーなんだけど、本来働く男ってそういうのじゃなくていいと思うのよ。できる人ができる時にお互いのスキル持ち寄ってお互いなんかすげー、って言える方が少年漫画っぽくて発展的だと思うんだよね。 レスキュー隊は安全講習やるし、イラストレーターは制作物請け負うし、インフラ屋はバリアフリー語れば良いし、俺はWebの可能性を考えれば良いと。そういう、地域密着ではあるけど自分の外の知らない世界と繋がるコミュニケーションが作りたい。”
これは最近自分が関わっている集まりの中で実際にこういうこともやっていけたらいいなって思ってたことではあるんだけど、ぼんやりしたイメージをテキストにしたことが無かったから、自分で書いてて自分でなんだこれ、と思った。

元々俺はムラ社会的なところで公約数を取って話をするのが決して好きではない人間で、学校とか会社とか、そういう所属に依存してやりたいことを制限されることの限界をなんとかしたくて、Web2.0的な時代のスキーム先行型のコミュニティを経て、ソーシャルメディアによるパーソナリティの発散から個性の要素ひとつひとつが場所や年齢を越えてつながっていく様にのめり込んで行った経緯があるから、親になって子ども達が大きくなって、地域っていうある意味パーソナリティとは関係ない必然性の中で生まれた繋がりの中で何かを表現しようっていう発想が出てきたことに、自分で語っててなんだか自分の知らない自分に行き着いたみたいな発見があって不思議な気分になったわけ。

ただ過去の自分が実感していたコミュニティと違うのは、地域っていうのが自分の所属というよりは、全く属性が異なる人々がたまたま集合になれる媒介であるっていうだけのことで、そこにたまたま集まった全く属性の違う人たちがそれぞれが持ちうる世界を提供しあうっていう行動はそれはそれで「ローカルな」コミュニティではあるけれど、精神的な体験の部分で言えば外向きの学習を得られる場所になりうるっていう意味で、(地理的な意味での)グローバルとかそういうのとはまた違う形で「オープンで発展的な」行動として面白いんじゃないか、っていうことにいまさら気付いた。

そんなの大昔から地域活動的なことをやっていた人からすれば当たり前なのかもしれないけど、仕事で関わっているような団体のポリシーやイデオロギーを伝搬するタイプのコミュニティとも全く違うし、つまるところ、単に30も半ばをすぎてようやく自分も普通の社会的な人間になれそうだっていうだけのことなのかもしれないけど、でも、なんだか自分が人や社会との繋がりを持つことの意味がひとつ増えそうな気がしたし、ささやかながら自分が世の中に対してできることが増える可能性を感じることができたので、今こんなことに気づいたことや、そのきっかけとなった家族や地域コミュニティの人たちにはとても感謝している。

とりあえず忘れないようにだだだーっと独り言で書いた。あとで思考がまとまったら、きちんと何かの形になって役に立つようにしたい。
このブログ始めて2年経って初めてカテゴリー増やした。


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