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東京下町の定義

東京における下町とは何か、Wikipediaによると高台にある「山の手」に対して、低地にある「下町」だ、とある。

Wikipedia:下町

ブログタイトルのとおり俺は(この定義によると)下も下、荒川アンダーザブリッジかつアンダーグラウンドな街に住んでいるので、東京郊外から越してきて以来この下町というものの定義に興味があって、文献やらネットやらで色々調べた。
その内容をメモ。個人的なメモなので参考文献とか根拠とか特にありませんすんません。

◆定義1:下町原理主義


=日本橋と神田のことである。

東京の下町とは江戸お膝元の町人街のことである、という歴史上の定義。~江戸後期まではこの定義が主流だったようだ。
下町とは英語の「ダウンタウン」の訳語ではなく、(町人街の中では)わりと選ばれし場所だったようである。
町の歴史が現代まで残っている。東京において「~~チョウ」という町名なのはだいたいが「町」の系譜(絶対ではない)で、日本橋と神田に密集しているのがその名残であるそうな。

ところでいつも思うんだけど、人形町や神保町が町人街だったっていうのはわかるんだけど、小川町がマチなのは大手町とセットで武家町だったってことなのかしら?

◆定義2:江戸選民思想


定義1に加えて、現代の中央通り~銀座線一帯。南は芝、北は下谷~ぎり浅草までが含まれる。
ポイントは旧江戸府の直轄地で、「隅田川を渡らない」「隅田川の向こうは新開地である」というところにプライドがあるらしい。

◆定義3:狭義の東京下町


社会文化的に見て、現代一般的に「東京下町」と呼称される定義のうち狭義のもの。
根拠は「旧江戸府・東京市の市街地」で、時代的には明治時代に定まったもの。

エリアとしては定義1,2に加えて、本所と深川を足したものになる。
確かに、現代でも「エリート下町」と考えるとこのへんがしっくりくる。

◆定義4:広義の東京下町


定義3に加えて、その外輪の荒川、墨田、城東までカバーしたもの。
+さらにこれに葛飾区の水戸通り界隈(常磐線/京成線沿線)を加えたもの。

時代的には昭和初期までの旧東京市一帯。実際に今城東に住んでいる人間からしても、この定義が一番現代の解釈としてしっくりくる。戦後の再建の影響もあるだろうけど、東京の市街地としての連続性が感じられるのはこのあたりまでかなと思う。

ちなみに、文化史的には葛飾区を「下町」に加えるのはやはり諸説あるようで、あのエリアは江戸からは離れているし街としての連続性もあまり無いんだけど、やはり柴又、金町、立石あたりの英語で言う「ダウンタウン」という意味での下町色が強く一般イメージとして「東京下町」が根付いているということのようである。実は時代的には昭和中期以降、寅さんやそれこそこち亀の影響がでかい模様。

ここまでくると逆に日本橋や京橋宝町あたりは下町じゃなくて山の手なんじゃないの?っていう気がしてくるんだけど、その感覚の変化が時代の変化っていうものなんだろうなあ、とか思うと色々面白い。

◆下町ではない


・江戸川:都外の人から下町イメージで見られることがあるけれど、歴史的にも市街の作り上も東京下町ではなく、どちらかと言うと千葉に近い。別に江戸川区の人をディスっているわけではなくて、文化史上そういう地域であるということである。

・足立:位置付けとしては葛飾と同じだと思うんだけど、千住あたりが江戸下町文化の影響下であったという歴史は無さそう。ダウンタウンという意味での「現代の下町」として定義すれば下町なのかもしれない。

・谷根千:下町ではない。明確な「山の手」である。最近ブームで「谷根千下町さんぽ」みたいな本や雑誌がたくさん出てるけど、東京の人からはツッコミが入ること多し。文京区だし、高級住宅地だし、実際山手線の内側なので。
強いて言えば、谷中商店街から日暮里の間あたりは下町っぽいと思うけど。

◆ネオ下町


「下町ロケット」に代表されるように、現代に再構築された定義では東京環状線ラインの区部外部で、庶民層の住宅地や工業地帯の街を下町と定義することが多くなっていて、下町と呼称されるエリアは広がる一方だということである。

上記の足立、城西城南側で板橋と練馬の一部、それに大田区の蒲田や池上線がそれっぽい。

 

どこが格として上とか下とかではないし、特にオチは無いです。


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